モノを作るって実際コトを作るって話

昨今、モノよりコトが重視される時代になってきているように思う。

私もどちらかと言えば物質よりも経験を大切にしたい方だ。

しかし、モノを作ったり贈ったりするのも、そこにコトが生まれている。

保育園からの幼なじみからお願いがあると連絡が来た。

ちょっとドキドキしながら内容を聞くと、これから出産予定の子の命名書を作ってほしいという内容だった。

私は自分の字にあまり自信がない。

命名書と言えば、力強い達筆の習字で書いてあるイメージだったので、光栄に思いつつもつい尻込みしてしまった。

すると友人は、「習字じゃなくても良いのだ」と言ってくれた。

ふつふつとやる気のようなものが私の中に湧き上がる。やる気というと猛々しい感じがするが、もっとワクワクした感じだ。

誰かのためにモノを作れるって最高に楽しくて幸せなコトだと思う。

以前、同じ友人に頼まれて、その友人の結婚式で流すムービーを作成した。

その時も心の底から楽しかった。細かい作業も、打ち合わせも、時間こそかかったが、苦になることは一つもなかった。

そこにあったのはお祝いの気持ちを形にできるという喜びと、観た人のリアクションを観れる喜びだった。

正直、当日観た人がどんな反応をするか、その瞬間まで怖かったのだが、いざ自分の作ったモノを皆んなが釘付けに観てくれていた時のあの感動はたぶん一生忘れない。

単発的な形ではあるが、クリエイターの人たちの「自分の作ったモノが評価される恐怖」と「人の心を動かせる喜び」を直に感じれた気がした。こりゃえらいこっちゃだわ。

こわい、もうやめちゃいたい、と思う一方、「こういうことを一生できたらいいのになぁ」と強く思った。

そして今回の命名書の話。本当に嬉しい。

モノを作ることによって、大切な友人の人生の節目節目を共有させてもらえるのだ。

あれ、なんか書いててちょっと友人への思いが強すぎて怖い人みたいになっちゃったかも。

とにかく誰かのためのモノづくりって最高のコトづくりじゃないかって話なのよ。

今度友人と行う「命名書作戦会議」も大変楽しみである。

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